【衝撃】北海道には自衛隊員が体重120kgのヒグマを小銃で射止め、小銃持参で地域住民を武装送迎した史実があった!

現在、熊などの有害獣駆除には猟友会が従事しており、自衛隊が直接的にヒグマの駆除を行うことはない。

しかし、過去においては陸上自衛隊北部方面隊に所属する隊員が不明機の捜索活動中、遭遇したヒグマに対して携行していた小銃を発射して射止めたという史実があるほか、里に下りてくるヒグマから地域住民を守るため、隊員が小銃を携行の上で住民を護衛送迎したこともある。

今回は北海道とヒグマの歴史、そしてヒグマと自衛隊のエピソードについて記す。

人間と野生動物との関わり

本来であれば、野生生物は人と出会わない深い山の中などで生活しているが、彼らの食料となる木の実などのなりが悪い年には里へ下り、作物や人に深刻な被害を与えることがある。また我々人間自らも彼らのテリトリーに安易に赴いた結果、予期し得ない事故が発生する場合もある。

本州に生息するツキノワグマによるものでは、2016年に秋田県内で同一と見られる個体に加害された4名の住民が命を落とす事態が発生している。

一方、北海道ではツキノワグマよりも大型で気性の荒い羆(ヒグマ)が、ときに農作物、さらには人へ加害するなど深刻な問題となっている

1970年には日高山脈の芽室岳で福岡大学ワンダーフォーゲル部員が羆(ヒグマ)によって命を落とす事故が発生しており、現代でも例年、山菜取りシーズンなどにはヒグマによる事故が後を絶たず、命を落とす人も多い。

そして昨今、道内においてヒグマ駆除を遂行するハンターと道警察の間で騒動が起きている。2018年、砂川市におけるヒグマ駆除の最中、砂川警察署(廃止)の警察官と砂川市役所職員立ち合いのもとで発砲したハンターが民家付近で発砲したとして、銃の所持許可が公安委員会から取り消された。これを巡って”砂川のように撃った後で警察に裏切られてはたまらない”と道内では多くのハンターが銃によるヒグマ 駆除を忌避する消極的な姿勢に。ついには2021年6月、札幌市東区に所在する陸自丘珠駐屯地へのヒグマ襲撃が起き、隊員が負傷した。駐屯地の隊員はとっさに正門ゲートを閉めようとしたが、ヒグマはわずかな隙間から駐屯地内へ入り込み、複数の隊員に噛み付いた数時間後、要請で駆けつけたハンターによって駆除された。所持許可取り消し騒動と因果関係があるのかは不明だが、報道によれば、2021年には1962年以来、ヒグマによる道内の犠牲者数が過去最多を更新する可能性があると見られている。なお、砂川の猟銃許可取り消しを巡ってはハンターが裁判を起こしており、2022年にハンター側の正当性を認める判決が下っている。

北海道開拓時代における開拓民たちと羆との闘い

北海道内ではとくに開拓時代、開拓民たちが羆(ヒグマ)による被害を幾度となく受けている。1915年(大正4年)12月9日、苫前村(現在の苫前町)の三毛別地区で発生した三毛別羆事件では7名の住民が体長3メートル近い巨大ヒグマの犠牲となっており、現在でも広く認知されている。また、大正12年には雨竜郡沼田町の集落で暮らしていた人々が次々に襲われ、5名が犠牲となった石狩沼田幌新事件も発生した。

三毛別羆事件

当時は警察へ通報してもすぐに巡査が臨場できるような時代では無い。12月の雪深い日本海側の北海道苫前。事件事故の発生時にはまず、青年団や消防団、すなわち地域住民の有志による初動対応が要であった。

3メートルもの巨大ヒグマを駆除するため、当時の北海道庁警察部の菅警部の指揮の元、青年団や消防団員など地域住民の志願者や、アイヌの狩人で数百名からなる討伐隊が編成されたほか、旭川からは陸軍師団の兵士30名も派遣された。同事件のヒグマはとくに女性の体臭に異常な興味を示したとされており、被害女性が使っていた衣類などをその鋭い爪でずたずたに引き裂いていた。集落の者らが恐れ慄いた事態だが、元軍人の猟師・山本兵吉(通称・サバサキの兄ィ)が討伐に参加したことで事態は大きく前進した。

兵吉は日頃から酒癖が悪く、警察の世話にもなっていたことから当初、菅警部に討伐隊への参加に難色を示されたものの、熊撃ちの技術は確かであった。集落の者らも兵吉の参加を推したため、警部も参加を認めた。

兵吉は愛銃であるロシア製ボルトアクションライフル・ベルダンタイプIIモデル1870を片手に討伐隊とは別行動でヒグマを追い、丘の上で対峙、ついには2発の銃弾で仕留めるに至った。

兄ィのおかげで、からくも事件は解決、三毛別の集落には平和が戻ったかのように見えたのも束の間、三毛別青年会館にて行われた一同祝杯の席にて、地区長がサバサキの兄ィに謝礼金を渡そうとしたところ『はした金だべや……』と兄ィ激昂。さらに兄ィはロシア製ボルトアクションライフル・ベルダンタイプIIモデル1870を青年会館の天井に向けて発砲、威嚇。『ルパン三世』1st第21話の従業員全員893の北海道の『滝川牧場』みたいな無法地帯だ。ノサップの銃。イナバのヤラセ。100人挙げても大丈夫。セイコーマート苫前店へ長次郎を買いに行ってる場合じゃねえ。怖すぎる……。

残念ながら、カリスマ的な人気を持つ風来坊な猟師・山本兵吉についての文献はそれほど多くなく、後年加えられた脚色も多いであろうが、近年では北海道が舞台となっている人気漫画の登場人物のモチーフにもなっており、人気が再燃しているとみられる。

複数の作家がこの事件をモチーフに小説を発表しているが、なかでも吉村昭が小説化した羆嵐(くまあらし)は、猟師・山本兵吉をモチーフとした熊撃ち・山岡銀四郎を描き、三國連太郎や高倉健主演でテレビドラマやラジオドラマ化されるなどして話題となった。一方、同じく小説家の戸川幸夫が羆風(くまかぜ)としてこの事件を小説化し、それを漫画化したのが『釣りキチ三平』で知られる矢口高雄氏だ。事件の凄惨さに迫るあまりに描写が残酷すぎ、三毛別羆事件の特集番組を作ろうとしたテレビ局が矢口氏に漫画の使用許諾を求め、同氏も快諾したものの、局ではその凄惨な描写のために結局使えず、絵本のような絵で紹介せざるを得なかったという逸話もある。

他にも、獣とフレンズになりたい人間と野生の本能を捨て去ることのできないヒグマとの悲しい運命が涙を誘う『朔風の挽歌』

日本オオカミの血を引く犬がヒグマに挑む78年放映のテレビアニメ『大雪山の勇者 牙王』もある。何歳だよ。

Chapter.1  

『大雪山の勇者 牙王』(リンク先はamazon)

このように、大衆娯楽たる創作作品の中のテーマとして『ヒグマ狩り』が描かれることも多いというわけだ。

陸上自衛隊北部方面隊員、小銃でヒグマを射止める

ヒグマの恐ろしさを十分に煽ってから本題に入ろうとする筆者の姑息な手法はともかく、北海道の防衛警備を担っている陸上自衛隊北部方面隊には、昭和46年5月、芽室町の剣山東南山腹(頂上から 400m)で遭難したヘリ(北部方面航空隊所属機)を捜索中の第5特科連隊第6大隊の隊員が、体重120キロのヒグマを小銃で射止めたという史実がある。

この情報については元・陸上自衛隊陸将の山下輝男氏の独自取材「朔東から第 25 号 羆(ヒグマ)を撃った男」を参考文献とさせていただいたことをここに明記する。

捜索活動中の隊員が実弾と小銃を携行していた理由は、やはりヒグマの生息地での活動であったためと推測される。

「昭和46年、芽室町剣山東南山腹にて遭難ヘリの乗員を捜索中の隊員が遭遇し襲いかかろうとしたため、隊員が身の危険を感じて所持していた自動小銃で”射止めた”」

出典 山下輝男氏公式サイト「朔東から第 25 号 羆(ヒグマ)を撃った男」http://yamateru.stars.ne.jp/sakutou025.pdf

なお、射止められた羆ははく製にされ、陸上自衛隊美幌駐屯地(美幌町)に展示保存されているという。その説明文には以下のように記載されている。

なんとも驚きの”昭和史”である。近代以降の現在では、たとえ災害派遣で道内の山林に捜索で入山する自衛隊員であっても、ヒグマ対策として小銃やM24SWS対人狙撃銃を持つ可能性はきわめて低いのではないだろうか。

同じく、公務で銃の所持と使用が認められている警察官の場合では猛獣や野生動物によって市民の生命に危険が及ぶ場合は、けん銃の使用が認められており、1985年には沖縄県の『沖縄子どもの園』からライオン一頭が逃げ出した際に、13人の警察官が38口径の回転式けん銃を計15発発砲して射殺した事例もあるほか、イノシシ、ツキノワグマ等の野生動物が今まさに市民に襲い掛からんとした状況で、それを阻止すべく、止むを得ず射殺した事例もある。

しかし、自衛隊員と”市民の生命を守るため”に銃で即応できることが認められている警察官を同じように比較していいのだろうか。おそらくできないのではないか。

なによりネックとなるのが、自衛隊に配備されている装備品で、隊員が野生動物を駆除する法的根拠だ。これは冒頭でも取り上げた2021年発生の丘珠駐屯地へのヒグマ襲撃騒動にも言えるだろう。

陸上自衛隊のM24SWS対人狙撃銃。民間で使用される一般的なボルトアクションの猟銃と同じ単発式だ。

というのも、ヒグマなどの有害鳥獣駆除には当然、狩猟免許が必要となっている。一般論で言えば、ヒグマは害獣であり、その駆除には役場や北海道庁の要請に基づいて狩猟免許を受けたハンターが臨む。

そのため、たとえ自衛官に銃の所持と使用が認められてはいても、狩猟免許を持たない隊員が、狩猟目的以外の公用銃を明らかな有害獣駆除のために使うことは法の壁が阻むであろうことは明白だ。

したがって、災害派遣要請された自衛隊員が山中へ入山する場合、ヒグマ対策として必要があれば猟銃を持った猟友会員などの民間人のハンターを同行させるか、ハンターの手配ができなければ、ヒグマ除けの鈴やスプレーなどを携行するしかないだろう。ただでさえ北海道では演習場での演習中、ヒグマと出会うことも多く、その際はヒグマが去るまで状況中止となる。

いずれにせよ、芽室町剣山東南山腹で自衛隊員がヒグマを射止めたケースでは、北海道の山岳地帯で自衛隊員が実弾を装てんした自動小銃を携行し、行方不明者の捜索活動に当たっていたという点は史実として大変興味深い。

北海道標津町では自衛官が小銃持参のうえで「住民の護衛送迎」を実施

北海道にはもうひとつ、自衛隊とヒグマの逸話がある。

昭和37年(1962年)の秋、十勝岳噴火の降灰によって木の実などの成りが悪く、道東の標津町の人里に多くのヒグマが現れたため、古多糠(こたぬか)地区において、自衛隊員が自動小銃を携行の上で住民をヒグマから護る「護衛送迎」を実施した実例もある。

知床半島の基部にある標津町は、開拓の時代からヒグマと人間との関係が強い町です。昭和37年(1962年)6月に起きた十勝岳噴火の降灰により、木の実等の成りが悪く、秋に人里に多くのヒグマが現れた経緯が存在します。この時、古多糠地区では自衛隊が、小銃持参の護衛送迎を実施しています。この秋には、1ヶ月足らずの期間で二十数頭のヒグマが捕獲されています。

典拠元 『NPO法人 南知床・ヒグマ情報センター』 活動概要の『標津町とヒグマ』より
http://shiretoko-higuma.com/gaiyou/index.html(※リンク切れ)

残念ながら現在は上記、NPO法人 南知床・ヒグマ情報センター』 の当該ページはリンクが切れているが、標茶町役場の公式サイトの開拓史のページにて、この昭和37年当時の十勝岳噴火とヒグマ被害に言及されており、”護衛送迎”の史実の一端を垣間見える記載があった。

それによれば、昭和37年に発生したヒグマ被害ではハンター2名が命を落とし、3名が重傷、家畜は牛48頭、綿羊23頭、馬2頭が命を奪われたと具体的に言及されており、標茶町開拓史においても過去最大級の羆害だったと記されている。そして、標茶町役場には熊害対策本部が設けられ、自衛隊の出動を要請し、学童登下校の輸送にあたってもらったとも記されている。市町村からの要請で、すぐさま小銃持参で出動できた当時の自衛隊の行動力に驚く。あさりよしとお氏の漫画作品に『中空知防衛軍』があり、滝川市および中空知地域を守るためだけに存在する行政機関・中空知防衛軍の活躍が描かれるが、まさに同軍なみの手際の良さと頼りがいと言えそうだ。

エゾシカの有害駆除に自衛隊が活用される現代

なお、現在では北海道庁と陸上自衛隊北部方面総監部がエゾシカの有害駆除に関する支援協定を締結しており、道内でエゾシカ被害対策に自衛隊が活用されている。

この支援協定では自衛隊のヘリで上空からエゾシカの位置を監視、追い込みなどをして、民間のハンターと連携し、ハンターが猟銃で駆除を行うというもので、自衛隊は直接的に駆除しない。

自衛隊とヒグマのお話しのまとめ

北海道内における自衛隊と野生動物、とくにヒグマをめぐるお話にはこのような史実があったのである。

また、ヒグマ以外でも過去には漁場を荒らすトドの駆除のため、対空機関砲の水平射撃や榴弾砲を沖合に発射してトドを駆除したという例もある。

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