地方協力本部と自衛隊広報官とは?

自衛隊に入隊したい場合、何処を尋ねるべきか。それは間違いなく、地方協力本部だ。

自衛隊員の採用試験を受けるには?「地方協力本部」に申し込む

受験生への指導・激励から退職自衛官の就職支援まで……。

自衛隊に入隊を志願する場合は各地方協力本部(地本/PCO)の各募集事務所へ出向くのが一般的だ。基地や駐屯地は入隊試験申し込みの窓口とはなってはいないのだ。

長らく隊員募集を担ってきたのは『地方連絡部』だったが、2006年に組織改変され、現在は地方協力本部となっている。

また市町村の長が自衛官募集に関する事務を行うことが自衛隊法で明記されているため、防衛省でも以前から、各自治体に募集事務の「お願い」を行っていた。そのため、全国で多くの市役所や役場でも、自衛官募集に関する事務をしている。

一方で、自衛隊からのお願いを全面拒否、または一部拒否していた自治体もある。沖縄県の那覇市役所や北海道の滝川市役所などだ。

遠方の場合は自衛隊公式のリクルートサイトに申し込めば、一番近い自衛隊地方協力本部、またはその出張所から広報官が志願者の自宅へ出向く手はずになっている。

自衛隊広報官とは?

そして地本に勤務し、自衛官募集業務を担うのがいわゆる広報官だ。広報官には自衛官と非戦闘員の事務屋の2種類が就いている。『地方連絡部』だったころは『チレンジャー』や地連のオッサン(そのまんまじゃね)とも呼ばれ、親しまれていた。

かつて昭和から平成のバブルの終りかけのころまで、若者が町を歩いていると自衛隊の広報官に声かけられて、食事をおごられるなど親しくされ、入隊の勧誘を受ける……なんてことが実際に行われていた。

彼ら広報官は職安のほか、職にあぶれて昼日中から競馬場、パチンコ屋などを浮浪つく若者らをスカウトしていたのだ。

戦後自衛隊の歴史の中で、そんな「誰でも自衛隊に入れた時代」を冷笑的かつ皮肉たっぷりに書いてるのが、元自衛官の大宮ひろし著「そこが変だよ自衛隊」だ。

同氏によると、かつての好景気時代は入隊者が皆無だった事例や、学力レベルが地域の最低校しか集まらなかった例もあり、私費で試験勉強用テキストを買い与えたり、食事をご馳走するなどの行為、試験時にわざと正答部分に指を指して答えを誘導、または「名前だけ書ければ合格」といった完全な不正採用の事例も存在していたという。

同氏は「そこまでしなければ入隊者が集まらなかった時代だったので、責めないでください」とも記述されている。

この広報官だが、大部分の業務は志願者をカキ集めてくることであり、志願者に対しての連絡事務や、マイクロバスで受験地の駐屯地への輸送と案内が多いのだが、募集業務はあくまで広報官の業務の一つであり、募集事務だけやっているわけではない。

有事や災害の際には各自治体の対策本部への要員派遣、対処部隊と行政機関とを繋ぐ連絡調整のほか、担任する地域に居住する即応予備自衛官を訪ね、召集命令の伝達も行うこともある。逃げた隊員を捜索しているという噂もあるが、そちらの業務はほぼ警務隊の任務のようだ。確かに自分が担当して合格させた隊員が逃げたら、自分の手でとっ捕まえたいと思いますわな。

さらに退職隊員の再就職の世話も行っている。自衛隊を入るときも去る際も、お世話してくれるのが広報官というわけだ。

広報官の勤務形態は特殊!さらにノルマも!

広報官は3、4年で所属部隊へ復帰するが、募集ノルマを達成した優秀な者のみ、数十年の任用も可能となっているという。ノルマについては自衛隊岡山地方協力本部が自ら公開するマンガ『ジエイのお仕事』にて「広報官にはノルマがある」と自虐的に紹介しており、事実だ。

また、『賞詞』という、いわゆる軍隊の勲章に準じたものが自衛隊にもあるが、自分が面倒を見た志願者が合格すると広報官の勤務成績が上がるという美味しい制度もある。具体的には3名の合格者で5級賞詞、5名の合格で4級賞詞、それ以上は3級賞詞を授与される。なお、広報官以外の隊員にも、知り合いを自衛隊に入隊させると賞詞を受けられる。