自衛隊と工作船事件

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1999年。北朝鮮の工作機関が日本国内で日本人を拉致したり、覚せい剤を密輸するため、日本の漁船に偽装させ格納式の対空機関砲などを搭載した武装工作船にて工作員を秘密裏に日本国内へ運んでいたことが発覚しました。

そう、能登半島沖不審船事件です。

この事件では海上保安庁が20mm砲や13mm機銃で合計185発、さらに9丁の64式小銃で1,050発もの威嚇射撃を行ったほか、海上自衛隊もP-3Cがテロ工作船付近めがけて150キロ対潜爆弾を12発投下するなど、日本の防衛史上に残る大きな事案となりました。

海上警備行動の発令

海上警備行動とは防衛大臣が、海上における治安の維持のため必要と判断した場合命ぜられるものです。国会承認の必要はないため柔軟に発令可能です。基本的には海上保安庁の対処能力では限界を超えており、自衛隊の兵力でなければ対処できないと思われる場合に発令され、能登半島沖不審船事件で実際に発令されることとなりました。

海保と同時に追跡していた海自護衛艦内では、臨検のためにミネベア9mm拳銃と64式小銃を隊員に配り臨時の臨検部隊が作られました。当時はまだ臨検のための専門部隊が編制されておらず、この事件の後日、強襲・臨検を任務とする海上自衛隊特殊部隊「特別警備隊」(SBU)と護衛艦ごとに臨検を任務とする「立入検査隊」(立検隊)が編制されました。

特別警備隊ではミネベア9ミリ拳銃では攻撃力にならないと判断しダブルカラムマガジン化により15+1発が最大の改良点となった多弾数型のシグ・ザウエルP226R拳銃、また狭い艦内でも取り回しの良いMP5サブマシンガンが採用されました。全身ブラックの戦闘服に身を包んだ上からタクティカルベストやレッグホルスターを装着し、さらにブラックのバラクラバで素顔を隠した彼らの姿は米国警察のSWATや日本の都道府県警察SATと似ています。

北朝鮮工作船がわかる本

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2度目の事件

さらに、この事件の2年後の2001年(平成13年)12月22日にまたもテロ船が日本へ不法侵入しました。これが九州南西海域工作船テロ事件です。

日本の海上保安庁が初めてテロリストと戦闘を行った事件です。

テロ船は巡視船に対して機関砲や小火器、対戦車ロケット弾による攻撃を開始。テロリストから攻撃を受けて、海保側に正当防衛が成立。テロ工作船と巡視船側の間で激しい銃撃戦が繰り広げられることとなりました。日本政府は海上自衛隊の特殊部隊、特別警備隊(SBU)に出動待機命令を命じました。その後テロ船は自爆、自沈しました。

後日、自沈したテロ船からはライフル、ロケット砲などの武器のほか、ヤクザの携帯番号が入ったプリケーや首領のバッジが発見されました。

なお引き上げられたテロ船は東京お台場の「船の科学館」にて多くの人々の前へ晒され、曽野綾子・日本財団会長により、テロリストたちへユリの花束も手向けられました。

軍用船にまったく見えない漁船に偽装された船型およびカラーと、積載された40ミリ対空機関砲のギャップが異様。海上保安庁から攻撃され銃弾の穴のあとが銃撃戦の激しさを物語る上に、船内内部から自爆のための爆破物の爆発によって船体が膨らんでひしゃげた様子も丸わかり。

まとめ

このようにAKS47や対空機関砲で武装しているテロ工作船を警察機関である海上保安庁が対応するということは、海保の対処能力を超えており、速やかに自衛隊が対処する必要性があるようです。

連れ去られた多くの日本人の消息が未だわかっていません。拉致後、従順せず不要と判断された人たちは船上で、そのまま加害されて海に遺棄された可能性もあるそうです。

拉致された邦人をどのように救出するのかが、自衛隊特殊部隊の腕の見せ所でもあります。そんな国際問題をそのまんまマンガにたのが、こちらの『奪還を命ず―拉致被害者を救出せよ!!』という作品。少数の独立偵察部隊でどのように潜入し、拉致被害者奪還するのか・・その方法とは。

漫画奪還を命ず―拉致被害者を救出せよ!!

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